木澤天童
木澤天童(大淵)通称 源一郎
1765-1819 江戸時代中期から後期に松本藩の藩校「崇教館」にて儒学を教えていた儒者。
松本藩に代々藩校で教育に携わったのが今城家・多湖家・木澤家の三家でありいずれも儒学・漢学者の家系であり儒学の普及に努めた。
木澤天童は「易解」として易経の解釈を記した書籍の他、暦法にも精通しており、記した書籍は千冊以上とされる。
当時の松本藩の藩主であった戸田家では、美濃国加納藩(岐阜県)主の時より既に高名な儒学者を家中に擁し、藩士や子弟の教育がなされていた。
そのため松本藩においても名だたる儒学者を抱えていた。中でも戸田光行は学問を好み、儒学を尊重していた。そのため藩士だけでなくその領民にも教導を試みたとされている。
藩校であった崇教館では主従の在り方や自己の修身の道を説く儒学が教えられていた。孔子の教えを記した論語や中庸、朱子学の書など様々な書籍が現在も松本市立博物館に保管されている。
木澤成粛
木澤樟蔭(成粛)通称 鼎蔵
木澤天童の子孫にあたり明治時代の東京府士族であり儒学者。
「修身入門」、「史学教授本」、「明治教育宝典」、「日本史記」など教育関係の教本だけでなく「周易占考活斷」、「男女音声の吉凶」、「手の紋理吉凶の鑑」、「加藤清正伝」など数多くの書籍を残している。78種類の書籍が現在も国立国会図書館にて所蔵されている。